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弥生時代の関東地方は神奈川県を中心とした南西部と、栃木県や茨城県などの北東部で、ようすがかなり異なります。例えば、南西部では「環濠集落」と「方形周溝墓」ほうけいしゅうこうぼが多く見られますが、北東部ではこうした遺構はありません。房総半島はこの二つの地域の中間に当たり、南北の文化が接触せっしょくし、混ざり合って、いわば弥生時代の「文化の十字路」となっていました。
房総半島は南北に長く、場所によって影響の受け方が異なるため、同じ県内でも様々な様相が見られます。
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@印旛沼北岸の土器(弥生後期-印西市船尾白幡ふなおしらはた遺跡
壺の文様には、北の茨城県側の土器と共通する特徴が見られます。
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A印旛沼南岸の土器(弥生後期-八千代市道地どうち遺跡)
北と南の土器が一緒に出土しています。両方の要素をあわせ持つ「折衷土器」せっちゅうどきも出土しています。
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B並んでつくられた方形周溝墓(市原市中閏ヶ広なかうるがひろ遺跡)溝で四方を区切ったお墓です。この遺跡では住居跡とセットで見つかりました。
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C環濠と住居跡(君津市鹿島台かしまだい遺跡)
中央に見られる2列の溝が環濠です。この遺跡で出土した土器は、出土遺物巡回展で展示中です。
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D房総半島南部の土器(弥生中期−君津市常代とこしろ遺跡)南西関東的な土器の良好なセットです。人びとが東京湾をはさんで盛んに行き来した結果かもしれません。
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2004年刊行 千葉ニュータウン埋蔵文化財調査報告書 XY-印西市船尾白幡遺跡-(第477集) |
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2004年刊行 船橋印西線埋蔵文化財調査報告者2-八千代市道地遺跡-(第464集) |
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2006年刊行
潤井戸地区埋蔵文化財調査報告書U -市原市中潤ヶ広遺跡(上層)- (第543集) |
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2006年刊行
東関東自動車道(木更津・富津線)埋蔵文化財調査報告書5 -君津市鹿島台遺跡(A区・D区)- (第529集) |
| D |
2004年刊行 国道127号埋蔵文化財調査報告書-君津市常代遺跡六反免地区ほか-(第493集) |
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