この墨書土器を出土した市野谷宮尻遺跡は、流山市西初石の標高約20mの台地上に所在し、平成12年度から平成14年度にかけて、教育振興財団により調査が実施されました。
遺跡は古墳時代前期から中期の竪穴住居跡が今までに88軒調査された集落跡で、その内容は平成17年1月30日に開催された千葉県遺跡調査研究発表会で報告されたところです。
問題の墨書土器は027号竪穴住居跡の炉の北側に接する状態で、床面近くから出土しました。
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墨書土器を出土した027号住居跡
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この墨書土器は無頸壷と呼ばれる形をしていますが、口縁部と胴部を残すのみで、胴部から底部を欠損しています。本来は9cm前後の高さがあったと思われます。その形態的特徴から、3世紀末から4世紀初めに作られたと考えられます。
文字が書かれていたのはこの土器の最上部分で、肉眼観察や赤外線投射観察の結果、「久」という漢字を読みとることができました。
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文字部分拡大写真(斜位)
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赤外線写真
(「独立行政法人人間文化機構国立歴史民俗博物館撮影」)
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全体実測図
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細かく観察すると、この字は下図のような書き順で書かれたと推定されます。
発見の意義
千葉県では7世紀後半以降墨書土器が発見されるようになりますが、弥生時代や古墳時代までさかのぼる資料は、これまで発見されていませんでした。
全国的にみても、この時代の文字資料は現在までのところ、6遺跡10点しか発見されていません。このうち、土器に字が書かれたものは、三重県の2遺跡だけで、東日本ではまだ報告されていません。
今回発見された資料は、筆の運びや筆順が明らかで、確実に文字と判断でき、当時としては貴重であった筆を所有していた人物がいたことを物語っています。
このことは、全国的にみても古墳時代前期の初期文字文化を研究するうえで、きわめて重要で貴重な資料といえます。
※墨書土器の判読については【独立行政法人人間文化機構国立歴史民俗博物館】の協力を得ました
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